■テッド・レヴィンのバイオグラフィ

テッド・レヴィン
 テッド・レヴィンことフランク・セオドア・レヴィンは、1957年5月23日に、オハイオ州クリーブランド(または近郊の町パルマ)で、ミルトン・レヴィンとシャーロット・レヴィンの第四子(五人兄弟の四番目)として生まれた。両親は共に医者であり、また政治活動にも熱心で、テッドの名前もおそらくはフランクリン・セオドア・ルーズベルト大統領に倣ってつけたものと思われる。

 生まれてまもなく同じオハイオ州のベレアに引越し、その後また引っ越して少年期はイリノイ州オークパークという街で育ち、高校はコネチカット州にある専門学校系高校に通った。

 高校卒業後、ヴァーモント州マルボロの Marlboro Collegeに入学したが、演劇にハマって大学を中退。おそらくこの頃、シェイクスピア『マクベス』のロス役でプロとしての初舞台を踏む。この公演中、マクダフ役のジム・ビーバーが怪我をしたため、テッドは途中からジムと役を交代し、マクダフ役も務めた。

 その後、大工をして生計をたてながら、ミシガン州アン・ハーバーで、Dratman Theatre Companyという劇団を設立。Dratman Theatre Companyは、劇作家/俳優サム・シェパードの作品を専門的にやる劇団で、この劇団でテッドは「Curse of the Starving Class」「Action」という二作品を演出した。また大工仕事の特技を生かして、セットなどの大道具は、テッドが金づちをふるって作っていたらしい。

 1980年初頭にイリノイ州シカゴに居を移し、シカゴ大学で演技のMFAを取得。さらに同地で、友人の女優エイミー・モートンにすすめられ、ゲイリー・コールとウィリアム・ピーターセンが主催していたRemains Theatre companyという劇団のオーディションを受ける。

 Remains Theatre companyが1983年に公演した「Moby Dick」に出演後、テッドは正式にRemains Theatre companyの一員となり「70 Scenes of Halloween」「A Class C Trial in Yokohama」「The Tooth of the Crime」に出演。「The Nest」という作品では演出を務めた。同時期にWisdom Bridge Theatreの「Life and Limb」、Goodman Theatreの「Time of Your Life」にも客演。また、1983年に「Through Naked Eyes」というTVドラマに小さな役で出たのを皮切りにテレビの仕事も始めている。

 1980年代後半から、Steppenwolf Theatre Companyという劇団の「El Salvador」「Your Home in the West」「Killers」「Buried Child」に客演。舞台の仕事と並行して「Two Fathers' Justice」というTV映画作品や、マイケル・マン監督の知る人ぞ知る刑事ドラマ「Crime Story」に出演。1987年にはジャック・ニコルソン、メリル・ストリープ主演映画「黄昏に燃えて(Ironweed)」で映画デビューを果たす。

 1991年「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」の連続殺人鬼バッファロー・ビル役の演技で注目されるが、バッファロー・ビルのイメージがあまりに強すぎたためか、その後しばらく、異常者めいた悪人の役ばかり依頼されるようになり、型にはまるのを嫌ったテッドは、1995年、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの二大スター競演で話題となった映画「HEAT」で当初ウェイングローという悪役のオファーを受けたにもかかわらず、あえてボスコという小さな役を選んで出演するなど、自らの可能性を積極的に広げていった。

 「マングラー(The Mangler)」などの主演作もあるものの、テッドは主に名バイプレーヤーとして「ワイルド・ワイルド・ウエスト(Wild Wild West)」「エヴォリューション(Evolution)」「ワイルド・スピード(The Fast and the Furious)」「SAYURI(Memoirs of a Geisha)」「名探偵モンク(MONK)」他、数多くの映画やTVドラマで活躍。新作の予定も続々と控えている。

 私生活では、ヘア・メイクアップアーティストのキム・フィリップスと結婚。息子のマックと三人で、カリフォルニア州のオハイに住む。マックの上にメリッサという名の、成人した長女もいる。二人とも元の妻との間にできた子どもだと推測されるが、確証はない。

文責:Lui

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