■警部のブログ 翻訳
 以下の文章は、USA NETWORKの公式サイトに掲載されているブログの、警部のブログをLuiが日本語に翻訳したものです。原文の著作権はUSA NETWORKにあります。公式サイトのブログには警部の他に、ナタリーやクローガー先生のもあります。それぞれとっても面白いので、ぜひ読んでみて下さい!
MAR. 17, 2006
勤務評定の時期

 俺は、勤務評定書を書いたり受け取ったりするくらいなら、暗い路地で銃を持った男に出くわすほうがましだと思っているが、残念なことに、サンフランシスコ警察に勤めるものは署長から下っ端に至るまで全員、市からの命令によってそれをしなければならない。
 毎年春の初めになると、決してうっかり忘れられたりすることもなく、勤務評定書のフォームが机の上に置かれる。その中の、いかにして空欄を埋めていくかについてのインストラクションの一部に、いつも俺をどっと疲れさせる一文がある。

「正直に、そして率直に。部下達はあなたに感謝するでしょう。市もまた、あなたに感謝します」
 俺はいまだに、その感謝とやらがかえってくるのを待っているんだが。

 勤務評定書を出すのが遅れると最初は優しくフレンドリーに、それでもぐずぐずしていると次第に堅苦しく長い文章で、早く提出するようせっつく手紙が送られてくる。

 俺くらいの地位にいると、2番目の督促状の最初のページに「みんなにお手本を見せてやってください、警部」というメモが書かれる。それをしばらくの間無視して、だいたい5通目の督促状が届いたあたりで、俺は仕方なく、大きなコーヒーカップとないものを出してくれる打ち出の小槌を横に置いて、机の前に座る。

 俺の評定は、時に熱烈で、時に批判的で、時にただのクソだ。長い時間をかけて、クソを書く。これが勤務評定だ。こんなものを書くのが好きなヤツなんて誰もいない。勤務評定を読むのを楽しみにしているヤツだって、俺はたった一人しか思いつけない。そいつはランディ・ディッシャーだ。

 問題は、たった16の質問に答えることで、その人物がなぜ良い警官なのかを説明するのは難しすぎるという点にある。同じことが、ある人物がなんというか・・・”劣った”警察官である理由を説明する時にも同様に当てはまる。また、全体的な過程における政治的な面を考えれば、友人をサポートしたり、可能性のある新人を勇気づけたり、意見の違う誰かに仕返しをしたりといったことにも利用されて、勤務評定の内容は時に少し、捻じ曲がったものになってしまう。

 ひとつ良い例を挙げてみよう。何年か前、俺とモンクはパートナーを組んで、ある殺人事件の捜査にあたっていた。検死官は、それが事故死かそれとも殺人か心を決めかねていたが、俺達は勘で、事故ではないと思っていた。

 俺達の上には口うるさい巡査部長がいて、そいつは俺達に、殺人だという証拠はないとグチグチ言いつづけた。けれど俺達は手がかりを追い、証拠を見つけ、事件を解決した。それでも、うるさい巡査部長は俺達が事件を解決したことを認めようとはせず、有罪にはならないだろうと言った。

 ところがどっこい、彼はまたも間違えた。犯人は第2級殺人罪で有罪となり、刑務所送りになった。で、そのうるさい巡査部長はなにをしたか? 己の間違いを認めて謝るでも、俺達が良い仕事をしたと認めるでもなく、次の勤務評定書に俺のことを『上司に対して反抗的』『プリマドンナ』『難しい殺人事件の捜査なら何でも知っているといわんばかり』なんて書きやがった。

 逆にモンクは、もちろん、熱烈に好意的な勤務評定を得ていた。当時、俺はあいつの緩衝材のようなもので、いつだって憎まれ役だったけれど、あいつと一緒に仕事ができるなら、俺はそれでかまわなかった。

 エイドリアン・モンクは、勤務評定書が少しばかり・・・くだらないものであることを示す、もうひとつの例だ。モンクは俺が知る限り最も優れた捜査官だが、しかし常に、勤務評定書の質問では捉えきれない問題を抱えている男でもあった。

 例えば「言葉によるコミュニケーションとプレゼンテーション能力」や「職場での人間関係」では、モンクが最高評価を得られるかどうかわからない。「柔軟性/適応性」に至っては、質問自体を飛ばして次に移ったほうがよさそうだ。

 ランディ・ディッシャーのような人物なら「捜査方針と手順に関する知識」や「任務に対する積極性/受容性」では高評価を得るだろうが、だからといって彼がモンクより優れた警察官であるということにはならない。

 俺は出来る限り正直に勤務評定を書くようにしているし、また新しい捜査官を雇う時には、過去の勤務評定書を参考にする。たいしたことが書かれていないことも多いが、時に、勤務評定書の行間からなにかを読み取れることもある。

 他の警部や警部補たちは「頑固」「攻撃的」「自己中心的」「プリマドンナ」などと書かれた勤務評定書には恐れをなすかもしれないが、俺は、それらの性格は、優れた殺人課の捜査官を形作る特性だと考えている。

 どんな人間、どんな警察官もそれぞれ強さと弱さを持っていて、どのような資質を備えていれば良い警察官もしくは捜査官になれるのかは、一般的な勤務評定書の質問では捉えきれない。なぜ勤務評定書を書かなければならないかはわかっている。しかし俺は自分自身にも部下達にも、良い勤務評定を得るよりも、良い警察官であれ、と言い聞かせている。

 そして、認めたくはないが、我々は誰しも時に間違いを犯し、誰かの助けを必要とすることもある。俺が何かを見落とした時には――滅多にないことだが、たまにはある――モンクやディッシャーが俺をバックアップしてくれる。自分の強さと弱点を把握し、また一緒に働く仲間の能力と才能を見出すこと。これが警官の、そして警部という仕事の、とても大切なところだ。


翻訳:Lui

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