■警部のブログ 翻訳
以下の文章は、USA NETWORKの公式サイトに掲載されているブログの、警部のブログをLuiが日本語に翻訳したものです。原文の著作権はUSA NETWORKにあります。公式サイトのブログには警部の他に、ナタリーやクローガー先生のもあります。それぞれとっても面白いので、ぜひ読んでみて下さい! |
MAR. 3, 2006 ギルロイ夫人からの電話 今日、ギルロイ夫人から電話があった。彼女はこの17年間、毎年同じ日に、俺に電話をかけてくる。彼女のたった一人の息子が死んだ日に。 マイケルは、明るい未来をもっていたはずの、よくいる若者の一人だった。彼は献身的で、よく働き、野心家でもあった。 彼くらいの年の若者はたいていまだガキで、親のすねをかじったりしているものだが、19歳のマイケルは、3つも仕事をしていた。彼は印刷屋にフルタイムで勤め、週末は管理人として療養施設で働き、夜は友達と遊んだり、女の子と知り合おうとする代わりに、ピザの配達をやっていた。 ギルロイ夫人が言うには、マイケルは一度も不平をもらしたことはなかったそうだ。彼はただ、彼自身と彼の母親がもっと良い生活ができるようにと望んでいた。 ある夜、ピザ屋はそれほど忙しくなかった。あまりデリバリーの注文がなかったので、マネージャーはマイケルを家に帰そうとした。しかしマイケルは、もう少しここに残って稼がせてもらいたい、とボスを説得した。 閉店間際、ホテルの近くからオーダーがあった。マイケルの同僚が届けるはずだったが、マイケルは彼に、チップを半分渡すから自分に届けさせて欲しいと申し出た。同僚は悪くない申し出だと思い、了承した。そのおかげで、彼は命拾いしたのだが。 皆が生きているマイケルを見た最後は、新記録達成の速さで戻ってくると誓いながら、ピザ屋のドアを飛び出していく姿だった。 しかし、彼は二度と戻らなかった。 マイケルは、ホテルにピザを届けた時、なんらかの方法で室内に誘い込まれ、略奪を受け、バスタブで溺死させられた。 それは東海岸で仮釈放中の二人の人物による、まったく意味のない、残忍な殺人だった。奴らはラスベガスに逃げたが、俺はそこまで追いかけて、逮捕した。それからまもなく、彼らは殺人罪で起訴された。 公判の間、ギルロイ夫人は法廷の後ろの席に座り、静かに泣きつづけていた。俺は彼女を見るに忍びなくて、陪審員たちの方をみていた。陪審員達は、そのかわいそうな女性が何者であるかはよくわかっていなかったようだが、それでもギルロイ夫人を興味ぶかげに眺めていた。 二人の男に有罪判決が下ったあと、ギルロイ夫人は被害者意見陳述のために立ち上がった。ギルロイ夫人が彼の息子について、彼がどれほど夫人に対し献身的であったか、彼にはこれからどれほど素晴らしい未来が約束されていたかを語るのを聞き、陪審員全員が涙を流した。 俺も泣いた。被害者の家族の話を聞くのは、公判の過程の中でも最も辛い場面のひとつだ。それは、事件を解決し犯罪者を刑務所に送ったら、はいそれでおしまいというものではないのだと、思わせられるからだ。 そのような事件が起こってしまうと、ギルロイ夫人のような人々はもう、普通の暮らしには戻れない。 年に一度の電話は、5分ほどで終わった。俺達は普通の挨拶を交わし、彼の息子については一言も触れなかった。ギルロイ夫人はただ、俺がマイケルを忘れてはいないか知りたいだけなのだ。 俺は、忘れない。 電話を切った後、俺はギルロイ夫人と彼女が失ったものについて、色々と考えた。そして、俺自身のことも。 彼女が味わっている苦しみと自分のそれは比ぶるべくもないが、彼女と話して今回始めて、なぜ彼女がそうしなくてはいられないのか、ほんの少しだけわかるような気がした。 愛する人を失って、一人残される気持ちを俺は知っているし、俺もまた、いつか再び普通の暮らしに戻れる日が来るのかどうか、わからないからだ。 翻訳:Lui |