■警部のブログ 翻訳
 以下の文章は、USA NETWORKの公式サイトに掲載されているブログの、警部のブログをLuiが日本語に翻訳したものです。原文の著作権はUSA NETWORKにあります。
JAN. 13, 2006
チーム作りのためのワークショップ

 毎年この時期になると、サンフランシスコ警察の管理職連中が全員、街の外にあるクリフサイドホテルに集まって、チーム作りのためのワークショップというやつを開く。
 我々はそこで一週間ほどかけて、来年に向けての目標設定や指針をうちたてるのだが、その間は、予算の大幅削減だの、士気を鼓舞する演説だの、査定だの、チーム作りだのといった、警察のお偉方がやるお定まりのあれやこれやで、大忙しになる。

 しかし、この小旅行における最も面白い点は、他の奴ら(失礼。女性もいる)がどのように振舞うかを観察することに尽きる。叩き上げの警察官と新人類警察官との違いは、年を追うごとに広がっていく一方のようだ。

 素晴らしい職務履歴書を作成して上司の目を引こうと、ある任務から次の任務へとただ飛び跳ねまわってるだけの輩は、常にいる。最新式のテクノロジーにべったり寄りかかって、机から離れようとしない警官もいる。その手のやつらには本当に頭にくる。そんなのは、警察官としてあるべき姿じゃないからだ。

 俺が若い頃は、通りに出て、人々と話し、身振りを観察し、被害者や暴漢や変態野郎と直に接触することで得られる経験こそが、唯一の教師だった。

 俺なりのささやかな意見を言わせてもらえば、本当に良い警察官とは、外に出て自らの手を汚すことを厭わない人物だ。とは言っても文字通り手を汚すってことではなくて、とにかく、言いたいことはわかってもらえるだろう。

 一部の新人類どもは、さまざまな人々の心や状況を読み取り対応できる者こそが、良い捜査官であるということを忘れてしまっている。それは、教室の机の前に座っているだけでは、決して学べないことだ。

 どうにか俺も、小さくはあるがひとつの部署を任されていて、そのおかげで今でも、現場主義というあらまほしきやり方を続けているが、それで古くさいと言われたとしても、俺としては一向に構わない。

 それにしても、誰も彼もがあっちこっちでひざまずいて、警視や署長のケツにキスしまくっている有様を眺めるのは面白い。ごますり合戦は滑稽であると同時に、うんざりするものだ。

 正直なところ、お偉方の中には、パトカーから出てくる勇気もないやつらがいる。ここに着いた時、俺はそういうお偉方の一人とすれ違った。何年も前から知っている男だが、今は警視になっている。そうなるためには、さぞかしごまをすりまくったに違いないが、彼はいまだに、俺と目をあわすことすらできやしない。

 しかしまあ、それはしかたがないだろう。もし俺が彼だったら、恥ずかしすぎて、他の警官達に顔向けなんてできないだろうから。

 もう何年も前の話だが、一度、俺たちは同じ時刻に勤務についたことがあった。そこへ他の警官からの応援要請の呼びかけがあり、近くの区域にいた俺を含めた数人がすぐさま現場へ駆けつけた。二十分にもわたる乱闘の末に十人の暴漢を捕まえ、護送車の到着を待ちながら、座って怪我の手当てをしたり、一息ついたりしていると、そこへようやく、今は警視となってらっしゃる「すかぽんたん」さんが、巡査のユニフォームを着てやってきて、俺達に、助けは要らないかと聞きやがった。彼はわざと遅れてやってきたんだ。現場の一番近くにいたにもかかわらず、一番最後に来たんだからな。

 彼は、逃げた未成年者を追いかけていたんだと言ったが、そんなヨタ話は誰も信じなかった。巡回中に他の警官から応援要請があった場合、未成年が逃げようがなにしようが、いかなる理由があろうとも例外なく、すぐさま駆けつけなくてはいけないなんてことは、警官ならば誰でも知っているという事実は、脇においたとしてもだ。

 その時、俺はヤツに文句をいって、少しばかり暴力もふるってしまった。妻にはいつも短気すぎるとなじられているが、時にはどうしても我慢できないこともある。自分の義務を果たさない警察官くらい、頭にくるヤツはいない。

 いつもの年なら、この会議からは数日で逃げ出せた。俺が街に戻って直接捜査にあたる必要がある殺人事件が、たいていひとつかふたつは起こったからだ。

 しかし今年は不運なことに、新しく上司となった警視に、留守中はランディー・ディッシャー警部補に全権を委任するよう命令されてしまい、そのおかげで今回は途中で逃げ出せるという目はなくなってしまった。

 それでも最終日の昼下がり、俺はそこを早めに抜け出す絶好の機会をみつけた。しかし、妻の大学時代のルームメイトである心理学者のアビゲイル・スミスに出くわしてしまい、結局、その機会を捕まえることはできなかった。その日の午後、我々は彼女のレクチャーを受ける予定になっていたので、逃げようがなかったのだ。

 俺はこれまでにも、彼女のレクチャーとやらを、何度か受けさせられたことがある。一番嫌なのは、彼女が俺と妻のことを知っているということだ。レクチャーの間中アビゲイルは、賛同や何らかのコメントを欲しそうに俺のほうを見るので、恥ずかしくってしかたがなかった。

 俺は、カレンや彼女の友達の前では、できる限り余計なことを言わないように心がけているが、『科学としての心理学』なんてものは、あまり信用していない。もしまた、犯罪者の悲惨な少年期だの壊れた家庭環境だのを云々する心理学的プロファイルとやらが俺の机に送られてきたら、壁に投げつけてやるつもりだ。

 アビゲイルのやり方はいつだって同じだ。みんなを円にして座らせて(よく精神科医がやるように)、他の人々とより良く知り合えるように、いくつかのつまらない質問に答えさせる。この時俺は、とある素晴らしいチャンスに気づいた。

 円になるために椅子を移動させている時、俺は懐かしき「すかぽんたん」警視も椅子を動かしているのを見つけて、すかさず彼の右側の、いくつか席を挟んだ場所を狙って、自分の椅子を置いた。

 我々がみんな席につくと、アビゲイルはみんなに一枚の紙を渡して、そこにお気に入りの映画、ヒーロー、歌を書けと言った。自分の選んだ答えを書くのに、俺は必死で笑いを堪えなければならなかった。

 アビゲイルは参加者達に、書いた紙を左側の四つ先の席に座っている人に渡すよう指示した。俺が書いた紙を持つことになったのは、誰だと思う? 「すかぽんたん」警視は俺の選んだ答えを読み、彼がやったことを知っている奴らはみんな、くすくす笑い始めた。

 その紙に書いてあった、俺の好きな映画とは何かって? 『三銃士』。
 ヒーロー? 『パットン』。
 好きな歌? 『スタンド・バイ・ミー』。

 アビゲイルには、その意味がわからなかったようだ。もしわかっていたら、彼女は俺をその場から追い出しただろう。しかし、他の連中はみんな合点して「すかぽんたん」警視のことを笑った。彼の表情から察するに警視自身も、その意味を理解したようだった。

 妻は俺にいつも拳ではなく言葉を使えと言うが、これはカレンの教えの賜物だ。結局、彼女はいつだって正しいのかもしれない。

 しかし今後は、片方の目は常に背後を見張っていなくてはならないだろう。警視が、俺のささやかな悪戯に復讐する好機をうかがっているかもしれないから。

翻訳:Lui

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